大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和30年(ネ)164号 判決 1958年5月20日

日本信託銀行

事実

被控訴人(一審原告、勝訴)は請求原因として、本件土地は被控訴人の所有であるところ、控訴人根岸三郎は被控訴人から本件土地の登記済権利証、印鑑証明書、白紙委任状及び印鑑を騙取し、昭和二十八年十二月二十八日控訴人日本信託銀行株式会社にこれを交付して、本件土地を自己が控訴銀行に対して負担する債務の増担保に提供し、控訴銀行は増担保提供の事務処理として右印鑑及び一件書類を利用して被控訴人から控訴人根岸に対する本件土地の売買契約を作成し、更に右控訴人のため所有権移転登記をしたうえ本件土地に根抵当権設定登記を経由した。ところで被控訴人が本件土地の登記済権利証、印鑑証明書等の一件書類を控訴人根岸に交付したのは、同控訴人が被控訴人に対し「適当な抵当物件を提供すれば、金五十万円を銀行利子で金融する。」と申し込み、被控訴人は当時資金に窮していたので早速これに応じ、本件土地について控訴人根岸のため極度額金五十万円の根抵当権設定の手続をするために必要であると誤信して前記一件書類及び印鑑を交付したのである。しかるに控訴銀行は、本件土地が被控訴人の所有であることを知りながら、電話による照会すらしないで前述の所有権移転登記及び根抵当権設定登記をしたのであるから、被控訴人と控訴人根岸との間の売買契約は無効であり、控訴人根岸のためにした所有権移転登記及び控訴銀行のためにした根抵当権設定登記もまた無効である。よつて被控訴人は控訴人に対し右根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めると主張した。

控訴人日本信託銀行株式会社はこれに対し、仮りに本件土地が被控訴人の所有であつて控訴人根岸においてその所有権を取得しなかつたとしても、被控訴人は控訴人根岸のために少なくとも債権額五十万円の根抵当権を設定し、且つ同人にその旨の登記手続をなす権限を授与し、同時にこれに必要な権利証一通印鑑証明書二通白紙委任状及び印鑑を交付したものである。また右抵当権設定契約がなかつたとしても、少なくも被控訴人は控訴人根岸から金五十万円の貸付を受けるべく予約し、その支払確保のため完済までの間控訴人根岸に対して権利証、印鑑証明書及び印鑑の占有権を移転したものであるから、控訴人根岸はその間右の書類等を被控訴人に代つて占有する権限を授与されたわけである。このような代理権限を有する控訴人根岸が、その権限をこえて本件土地を自己の所有であるとしてこれに対し控訴銀行のため債権極度額金三百万円の根抵当権を設定し、且つ控訴銀行に対し右権利証、白紙委任状及び実印その他の書類を持参し、自己が被控訴人から買い受けた旨を述べ、その所有権移転登記手続まで依頼したので、控訴銀行は、同人に所有権があるものと信じたのであり、これらの事情は控訴人根岸に代理権ありと信ずべき正当事由であるから、本件所有権移転は表見代理の法則により有効であると抗争した。

理由

証拠を綜合すると次の事実が認められる。すなわち、被控訴人は書籍出版業を営んでいたところ、昭和二十八年十二月営業資金に窮したところから、年来の知人である宇田川安三郎に金融方を依頼したが、同人より控訴人根岸に紹介された結果、控訴人根岸から直接被控訴人に対し金五十万円を銀行利子程度で一年間位貸与することとなり、まず同月十九日被控訴人から宇田川を通じ本件土地の権利証、被控訴人の印鑑証明書及び印鑑を右貸金のいわゆる登記をしない根抵当(根抵当程度)物件として受領したこと、右根抵当程度とは右当事者間の合意によれば根抵当権の設定が土地自体を担保に供するのとは異なり、債務者から債権者に対し借金の担保として権利証、印鑑証明書等を預託するのみであつて、債権者は右書類等を利用して右土地につき所有権取得又は抵当権設定等いかたる登記をすることも許容されていないものであること、且つ一年後の弁済期に被控訴人が債務を履行しないときは債権者たる控訴人根岸において右担保物につきいかなる処置をとりうるかについて合意がなかつたものであること、さらにその頃控訴人根岸は当時控訴銀行に対し多額の当座借越があり同月二十五日頃から増担保の要求を受けこれに応じなければ不渡手形を出さざるを得ない苦境にあつたこと、控訴人根岸は前記権利証、印鑑証明書及び白紙委任状を利用して被控訴人に無断で右委任状に登記事項を記入し、本件土地について自己名義に所有権移転登記をなした上、自ら抵当権設定者として控訴人銀行のため根抵当権設定登記をなしたこと、以上の各事実を認めることができるのであつて、これによれば、むしろ控訴人根岸は被控訴人が法律に通じないのを利用して被控訴人に根抵当程度とか符箋登記とかいう名目を用い、これらは担保としては所有権移転登記、根抵当権設定登記のような本登記手続を経ない簡単で効力の弱い形態である旨を説明して被控訴人を納得させ、被控訴人から前記のように必要書類の交付を受け、被控訴人の承諾なくしてこれらを使用し本件各登記をなし、控訴銀行からさらに融資を受けて自己の経済的苦境を脱しようとしたものと認めるのを相当とする。

ところで、控訴銀行は、権限踰越による表見代理の法理により結局右登記は有効であるとして控訴人根岸の有する基本代理権として、まず控訴人根岸自身の被控訴人に対して有する債権担保のため被控訴人所有の本件土地につき根抵当権設定登記をなす権限があると主張し、さらに右基本代理権として控訴人根岸が被控訴人に代つて権利証、印鑑証明書及び印鑑を占有するところの代理占有権を主張する。なるほどその主張によれば控訴人根岸の右物件の所持という客観的事実によつて所持の効果である占有権が本人である被控訴人に帰属するのであるから、これは恰度代理人の意思表示によつてその効果が本人のために生ずることと類似するのであるが、控訴人根岸の右代理占有は占有に関する代理であつて意思表示に関する代理ではないから、両者の用語が何れも同一とはいえ、後者に関する表見代理の法理を前者に類推することは制度の本質上許されない。のみならず控訴人根岸の本件各登記の意思表示自体についても、前記認定事実によれば、同人が被控訴人を代理してなす所有権移転登記の意思表示の相手方は控訴人根岸自身であつて控訴銀行ではないから、控訴銀行に対する関係で表見代理の法則を適用する余地はなく、又前記認定によれば、根抵当権設定登記の意思表示は控訴人根岸が自らを本人として発したもので、被控訴人を代理したと称してなしたものではないからもちろん表見代理の法則を適用することはできない。このように表見代理の法則は意思表示の相手方及び意思表示の効果を受ける本人が何人であるかによって適用を見ない場合があるから、控訴銀行主張のように本件根抵当権設定者が被控訴人であろうと控訴人根岸であろうと表見代理の適用についての効果が同一であるとの控訴銀行の主張は採用することができない。

よつて控訴銀行の表見代理の主張は失当として排斥すべく、被控訴人の本件各登記抹消登記請求を認容した原判決は相当であるとして本件控訴はこれを棄却した。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例